(null-アイドルが終わるということ)
あの冬が好きだった。
太平洋側を転々とした僕の幼い記憶の中では冬の張り詰めた空気も悴む指も霜焼けも不快とは程遠いそれだった。
歳を重ね冬は寒さと共に1年の思い出を急ぎ足にやってくるようになった。外に出るのも億劫になったし布団がいつもにまして愛おしい。
こうして逃げるように浴槽に浸かっている。
重い筆をようやく走らせることができる余裕ができた。
大好きだったアイドルが年始に解散した。
解散してからというもの、所謂「亡霊」となったヲタクたちが跋扈するTwitterで空虚になった生活を記すつもりだったがそんなことはなかった。
翌日からテストがあったし就活もあった、バイトは人生で初めて飛んでしまったけれどそれ以外は日常に忙殺されていた。
財布も相変わらずすっからかんの貧困大学生だし、本当にただ日常から「uijin」がぽろっと落ちただけだった。
それはこの3年弱、とにかく僕にとって1番大事なものだった、現場のヲタクもいつも僕に暖かかったし運営も我儘に辛抱強く付き合ってくれた。
当然推しメンのことなんて好きで好きで仕方がなかったし本気で「1番かっこいいのはuijinだ」と思っていた。
学祭や生誕、台湾を含めたいろんなところへの遠征、思い出ばっかり集めながら毎日次の現場のことばっかり考えていた時間だった。
だからこそ解散の発表は青天の霹靂だった。
発表の翌日のツアー初日、開演前、フロアの真ん中で人目も憚らず、1人でめちゃくちゃ泣いた。
僕にとってこんなに残酷な仕打ちはなかった。
彼女らがいない人生が絶望的に思えた。
必死だったのだと思う。
よく続いた、という言い方も出来るのかもしれない。それは私の飽き性な性格のことでもあるし、それこそグループの存続としても。
噂レベルの話だけど1年前には解散の話が地下アイドル界隈では少し聞くようになっていたし、3月の恵比寿LIQUIDROOMのワンマンがソールドしなかった時も覚悟はしていた。というか、覚悟しなくてはいけないという義務感があった。
それは「アイドルなんてすぐいなくなるし良くもった方だ」という強がりと諦めであり、大学生活のほとんどを共に過ごし、そして自分が大事にしてきたものとの別れに合理性を持たせるための手段だった。
それでも恵比寿以降のワンマンの度にMCで「解散の話だけはしないでくれ」とだけ思っていて、その間はずっと気が気じゃなかったし、イベンターの意味深なツイートに苛立ったり、「アイドルは永遠じゃないから美しい」と歌う彼女たちに腹立てたりしていた。
だから解散発表は本当は青天の霹靂ではなかった、ただ僕の儚い希望がそれをそう感じさせていた。
そんな風に、必然的に、しっかりと終わりはやってきた。全く実感もないまま。覚悟もできてるはずだったしめちゃくちゃ腹が立っていたはずなのにその時の楽しさとかそういうのに忙殺されて気付いたら12月、1月、そして解散。
MCもアンコールもなくその日のためだけの新衣装で現れた彼女たちの終幕は余りにも楽しくて、可憐で、口下手で、あっという間だった。
呆気ないとは思わなかった、アンコールのために僕のもとに集まってきてくれたヲタク達を見て「これがuijinらしいよなあ」と笑えるくらい、やりたいようにやってくれた終幕だった。
彼女達はこうして僕達のもとから去った。
終わってみれば僕は好きだったものとか好きな人になにも残せなかったのかもしれない。
けどそれくらい必死に楽しんでいたと思うしそうでいられたのは彼女達のおかげなんだよなと思うと感謝しかなかった。本当にありがとう、とだけ思いながら彼女達の退陣を見送った。
そこから何日か経ち、あるいはまだ全然月日が経っていないとさえ言えるけど今生の別れみたいな雰囲気だったヲタク達にも結局あってるし、推しメン達の生存確認もできている。
ただそこに「 」がないだけ。
それだけなんだけどなあ。
結局現実に揺られて、毎日がやってくるし誰もそれに抗わない。というかみんなこの虚無感さえいつか捨ててしまうのかもしれない。
それでもちゃんと生きていってしまうしあんなに残酷に見えた解散だけど、本当にわがままでドライだったのはこちら側だったのかもしれない。
そんなこともないか、好きだったし好きだし。
ともあれ、僕の季節がひとつ変わってしまった。
あの冬はもう来ないしそろそろ浴槽から出ないといけない。うん、すこしのぼせ過ぎてしまった。
この話に何か教訓があるわけでも結論があるわけでもないし感動的でもない。ただまとまりのない話になってしまった。
ただ風呂上り、ドライヤーを片手に、あの頃のセツナメモリアルはまだ1番までしか聞けない。