その7

「教員」が嫌いだった。

 

私はとにかく「出来る子」だったし所謂クラスの中心の子たちとも仲良くやっていたし地元では裕福な部類だったため同い年の小学生や親の期待を一身に背負っているという自負があった。だからこそよく大人と衝突した。

 

小学四年生の時のことだ。私はでしゃばりな子供で自分の能力の誇示が大好きだった。

その頃の担任に言われた言葉を忘れない。

「人はピラミッドのように人間性を基礎に能力を高めていく。お前は人間性がない。いつ崩れるかわからないバベルの塔だ。」

彼はその年、17歳の女子高生と援助交際をして捕まった。彼の名前に2度と「先生」という呼び名がつくことはなく、「容疑者」という肩書きだけが残った。

 

私は心底傷ついた。私の人間性を否定したものは犯罪者になった。辛かった。

だからこそ彼の言う通り、私は目立たないように目立たないようにと努めた。

 

小6の頃のことだ。私は「斜に構えてる子」だと担任たちに言われた。みんなが挙手する中一度たりとも手を挙げなかった。

ある日、担任が激怒した。若くてスポーツができる、人気の先生だった。廊下と階段を引きづり回され、「僕が嫌ならクラスを変えてもらえ!」と言い、私は泣いて抵抗した。

また別の日、一度も教わったことのない主任のおばあさんに昼休みに呼び出された。

「あなたより優秀な子もたくさんこの学校にはいる」そう言われた。

プライドが傷ついたが納得していた。というのも、わざわざ12の子供のプライドをへし折りに大人がカッコ悪いことを言ったのが満足だったのだ。

ラ・サールに入学してまもなく、彼女から手紙が来た。

 

「あなたは私の自慢の生徒です」

 

そんなわけで私は教員が嫌いだった。

今は塾の先生に恵まれ、バイトで生徒と接し、四年間過ごした。カリキュラムも何もかも生徒のために。そんな中人間関係のトラブルや思春期特有のうねりに巻き込まれてこちらが参る時もある。だからこそやりがいとともに「聖職者」としての「教員」に尊敬の念もできた。

 

だから教員いじめの事件が本当に嫌だ。

謝罪の文を読んで私はますます嫌な気持ちになった。

40代女性のコメント。

「かわいがっていただけに彼が心配」

思ってもないことを言うな、自分のために人の人生を人の魂を傷つけるな、いやだいやだいやだ。

 

私の中の「教員」がフラッシュバックした。

傷ついた。とても。

「教員」なんて、と思う。

私とともに、渦中の彼らに教わっていた子供も今傷ついているのだろう。

 

一生誰かが許さないことを噛み締めて欲しいと思った。